幼稚園の歴史

なかむらようちえんの歴史

001.JPG曲田の幼稚園舎
◆中村幼稚園は、故「荒 信輔」氏により昭和5年に旧中村町馬陵公園内に町有建物を借用し創立されました。昭和6年同町、曲田に独立園舎を新築し、本格的な就学前教育を開始しました。当時中村町はもちろん、福島県浜通り地方には就学前教育機関は無く、初代園長は永年の教育経験を生かした、この地方における幼稚園教育の先駆けとなったのであります。しかし、第2次世界大戦は、この小さな幼稚園にも大きな混乱と影を落とし、園そのものの存在をも危機にさらしました。
◆それにも関わらず、前園長の「荒きみ」は混乱期における幼児教育の重要性と初代園長の意志を思い、昭和28年に再認可を受け、新しい民主主義の下で幼稚園教育を再開しました。昭和48年旧中村町は急激な市街化の波に洗われ「幼児教育を行うには静かな自然環境の中が理想である」とい現園長の方針を実現すべく移転を決意し、現在の「新沼坪ヶ迫」へ新園舎を設立致しました。
◆平成16年。地域社会に支えられながら、緑に囲まれ静かな自然環境の中で理想的な幼児教育を行ってきた荒きみ園長は、平成16年1月17日に逝去し、平成16年度から荒美佐子が就任致しました。約35年間保育現場で担った幼児教育と前園長の子ども達に対する熱い思いを継ぎ、見えない所を伸ばす教育をモットーに子ども達の成長を第1に考えた幼児教育をして参りました。
◆平成26年には、荒崇志が園長に就任しました。歴代園長の幼児教育にかける思いを受け継ぎ、心と身体を育てる幼児教育を中心とし、さらに、楽しい幼稚園を目指し、全園児1人1人に目を向けた幼児教育を行って参ります。

◆このような沿革を持つ本園は、地域社会の多大な援助を受け、相馬市の教育機関として本年創立86年を迎えます。

たのしい幼稚園 たのしめる幼稚園

003.jpg第4回卒園アルバム(昭和9年)
「子どもを少しでも賢い子にするため、何か良い方法はあるのでしょうか」こういった質問は、子どもを良い子にしたいと思う親なら誰でも考えることです。知能というのは3つに分けられます。

1つ目は「抽象的な知能」聞く・話す・読む・書く、等の主に使われるものです。
2つ目は「具体的知能」といわれるもので、感覚・手・足を使って物や道具を使う、生活を豊かにすると伸びるものです。子どもが自分自身の身の回り事を一人でする事やスポーツ、手伝い等をする事が生活能力を伸ばすことになります。
3つ目は「社会的知能」いろいろな人に触れ、いろいろな心の動きを感じ、自分の思い通りにならない事を経験する事によって、対人関係への知恵がつきます。

 幼児教育は基礎づくりといわれます。しかし学校教育では、一つ目の「抽象的知能」の訓練にウェイトが置かれがちです。しかし、それだけでは十分ではありません。実力となる知能は3つの知能がバランスよく成りたった時、初めて身に付きます。幼稚園で、道具を使ったり、手先を使ったり、運動したり、自分で着替えするなど生活能力を育てる部分が大きく、子どもの遊びを大切にするのは、バランスのとれた実力のある子に育って欲しいからです。

 そうして、子どもは子どもなりに少しずつ、生活能力や社会性が身に付け、自分の力への自信がつくことによって物事への興味が広がり、「自分から何かやろう」と意欲的になっていくものです。それが学校教育にも続くのです。読み書き計算だけ出来て入学しても、決して楽しい学校生活にはならないと思います。

 また、幼稚園は幼児が家族以外の世界に初めて触れる場です。自分にも自分以外に対しても、愛情や信頼を持てるような生活を考える事が大切だと思っております。